気まぐれ日記            



過去の日記 2001年9月 8月 2002年2月

5月5日
日本はゴールデンウィークか。日本みんなはどうやってすごしているのだろう。
僕はせっせせっせと引越し&リサイタルの準備で忙しい・・・。
こちらの友達もみんなFinalのテスト準備で忙しい。
うう 体調だけは崩したくない 食べるもの食べてがんばるっす。

さて。最初に先週の話をします。ダウンタウンの見納めにいってきたはずが
その後数日間つづけてダウンタウンに行くことに!(笑)ピアノの巨匠。アルフレッド・ブレンデル と アリシア・デ・ラローチャのリサイタルに連日いってきたのです。
ブレンデルはモーツァルトのソナタ第9番ニ長調 シューベルトのソナタハ短調 ブラームスのバラード集Op.10 最後にモーツァルトのソナタヘ長調(作品番号が。。でてこない。。一番最後のヘ長調ソナタ。うう わかり次第アップします) 相変わらずものすごい集中力。2000人収容する大きなホールでも音をしっかり聴き美しい音をまたバランスのよい音を出していました。(実はこれが三回目の僕のブレンデル体験です)実は去年ダラスで彼の演奏を聞いているのだけど。実は去年の方が数段によかったのでした。去年もモーツァルトとシューベルトの作品を弾いたのだけど そのときはもう背筋がぞぞっとするぐらいによかった今でも忘れないパフォーマンスだった。 こんかいは見るからに ブレンデル・・・疲れていたよう。。 僕は音のミスは気にならないけども。 彼の神経質過ぎるぐらいに緻密に研究される解釈は今回は自然な音楽として聞こえなかったのでした。ブラームスでは音楽が完全に停滞してしまって 。。 アンコールでは シューベルトのウィーンの夜会(リスト編曲ではない物)を弾いたのですがそれが一番彼の繊細な音色や解釈は自然に流れとてもよかった! はじめて聴いた曲で何番かもわからないのですが・・。  次の日は ラローチャのフォートワースシンフォニーオーケストラとの共演でこファリャの「夜のスペインの庭」でした。はじめてきいたこの曲。カラフルでスペインの味がたっぷり楽しめる作品。ピアノコンチェルトという形式というよりは 交響組曲というか交響詩という感じでした。
ピアノがわりにオーケストラと混じる部分が多く、ピアノはオーケストラにのせて綺麗にカラーリングをするという感じ。 ラローチャはもう この曲はお手のものといわんばかりに手の動きが自然で、スペインの音楽を楽しんでいる感じがあふれていた。 しかし。聞いたところによると彼女はもう80歳以上! 歌いまわしはくさすぎず。大げさすぎず。なのにスペインしている。よくあるありふれた大げさな言い回しにあふれすぎたチープな音楽とはまた違う。beauty in simplicityが好きな僕には 結構ぐぐっとくるパフォーマンスだった。 彼女はオーケストラに対してパワー不足だとはは僕は決して言いたくないけども オーケストラ。彼女の大事なメロディーを隠してしまうことが結構あった。 僕もこのオーケストラとそういう経験がある。 アンサンブルは結構よかったのだけどもバランスが。 とにかく この二人の巨匠は比べ物にならないぐらいそれぞれ違うタイプ。両者をくらべると 僕のもともとの好みはどちらかというとブレンデル派なのだけど。ラローチャの超自然な流れに感動した。  
 さて そして昨日と今日。引越しの準備です。古い服やいらないものを友達に譲る作業からはいりました。(それからじゃないと 掃除機もかけられないし。。ということで。) だいぶ物はなくなった。 。僕のものをもらってくれた友達とご飯を食べに タイ料理店へ。海老のいためご飯とチリカレーを食べた。 チリカレー 僕はドラゴンになるのではないかと思ったよ。からかった!辛さですっかり気分は紛れ その後練習は思うように事が運んでいった。
つくづく思うのだが、なんて僕は26にもなってまだ単純な人なんだろう。(爆) こないだ チェロリサイタルで弾いた後に友達のチェロ弾きに「あの!同じ曲を明日試験で弾くのだけど 伴奏者失踪!」ということで次の日までにあわせをして一緒にひいてきたんです。しかし その前に友達にベトナム料理屋に行こう!と誘われ 食べる前は結構気分が優れず 食べた後はなぜかとても気分が爽快で。試験20分前に学校に到着。試験場では先生がたに「良かったよ。ところで なんでそんなに嬉しそうなんだ?今日は」と言われ  「ベトナム料理を食べたから・・・かな?」と答え 「試験前に外に食いにいったのか?しかもそれでハッピーになるとは・・・は!」と笑われる始末。 いい友達とおいしい食べ物を食べるというのは本当に楽しい。普段一人で作って一人で食べる生活がおおいからなのかな。。 
 あさって卒業リサイタルです。
 「出来は?」といわれるけども。
 「どうなるだろうね」という感じです。(何だ?なんだぁ?)
でも落ち込んでいるわけでもなく
  気負っているわけでもなく。
    あきらめているわけでもないんですよ。
   むしろ超前向きな考えが今は強い。
学べば学ぶほどいろいろな発見があることは確かなのだから
それにもともと終わりの無い勉強にも音楽の魅力があったりするのだから
いま僕なりに感じた音楽をするという感じでしょうか。
とりあえず がんばってきます!みなさん応援ヨロシク御願いします。m(_ _)m


4月27日
よく考えてみたら。フォートワース生活あと一週間と少し。なんてことだ!
先週から荷物の整理をはじめたけど。このペースじゃ間に合わない!
日本に送り返す荷物と捨てる荷物 貰ってくれる人買ってくれる人を待つ物
僕の寝床はこれらのもので うう。ごった返し。
ええと今日は月曜日。今週 ウィークデー残りまだ数日ある。
今日は午前中にオーディション(昨日の日記参照魚)のソリストをしてきました。思ったよりリラックスして音が落ち着いて聞けて。。あとはリサイタルまでにおさらいを。。。
そして 水曜日にあるチェロリサイタルの会わせも最終段階に入ってきました。
いろいろなものが一気に最終段階に入ってきた。
ここはあせらず落ち着いて生きた芋・・(←変換がおかしい!いいところで!)
いや・・ここは焦らず落ち着いて生きたいものだ。
あと これが最後になるであろうとダウンタウンを見納めに行ってきた。
しみじみはあまりしなかったのだけども。なにかしっかり見ておこうという意識が働いて
友達との会話がかみ合わないことが多々あった。。。(爆)


4月26日
うお!そろそろ4月も終わり。というか TCU生活あと二週間もないのか。 なんとなく寂しい。
リサイタルに向け最終調整の段階に入ってきたような感じです。
どれも暗譜済みですが。理想は常に高いところにあり。それにむかってというところでしょうか。
でも なにやってもうまくいかないような気がするという感じがなく。ネガティブな気持ちがなくすごせているので。練習は楽しい。
明日はTCUで6月に行われる ピアノのイベント クライバーンインスティテュート でのコンチェルトコンクール公式伴奏者になるためのオーディションがあって・・・伴奏者のオーディションですが。もちろんソロパートを演奏する人が必要なわけで。急遽僕がベートーヴェンのコンチェルト4番のソロパートを弾くことに。 リサイタル前のいい機会だとおもって。とりあえずがんばってみようと。 明日午前9時からだ。久々の早起きだ。目覚ましを3つかけなければ。


4月20日
今日は僕の先生 Tamas Ungar先生のリサイタルでした。
曲目は ヘンデル:シャコンヌ ト長調  ハイドン:ソナタ ヘ長調
シューマン:子供の情景  リスト:スペイン狂詩曲  バルトーク:ソナタ(1926)
でした。 先生が学校でリサイタルをするのは実に久しぶりのことで。この日はひそかに楽しみにしていた。    昨日夜遅くにまた練習をしたくなりがっこうに行ったら先生が舞台上でリハーサルをしていて「楽譜がそこにあるからきいてくれ!」と 楽譜にチェックをいれたり ところどころ注意したりとしていたので今日の演奏会がおおよそどういう感じになるかは想定できたのだけど。やっぱりいざ演奏会で聴くとなんだか緊張してしまうものです。。。
久々の学校での演奏会。もう一年以上先生の演奏は聴いてなかったのだけど。
先生の音楽はまだ生きていた!という実感のなかで演奏会は終了した。
 先生の音楽に対するアプローチの仕方には脱帽です。先生は決してテクニシャンではなく ところところでちょっとした危うさがでるのだけれども、なんというか”楽譜から音をとりあえず読んでそれをただ単に追うところから始まっている”と言う感じのしない音楽。 楽譜からきちんと言葉として受け取り解釈する。。。ある意味ステージ上で先生が楽譜のようである・・ 楽譜上の音符が指によって単に鳴らされるという感じでなく ようするに無駄に意味合いを持たない音は出さないのである。そのための苦労は背負ってでもやるというのが先生の考えだろう。 僕は 先生のところどころに傷のある演奏は 「やったる!私が気持ちがよければみんなも気持ちいはずだもの!」とアチョーと弾いてのけるミスの無い演奏に比べたら どれだけよいか。 皆さんインディアナ大学で教えてらした ジョルジ・シェベック(シェボックとも日本で言われているらしい)先生ご存知ですか? シェベック先生の生徒であった僕の先生はまさにその良いところを受け継いだと言う感じがします。僕は あまり辛口で人のことを批判したくはないが。先日ラン・ランという小さな中国人の演奏をきいてきた。 よかったこと・・・見かけ上での完璧さだと思った。テクニックに問題が無く安定している 音のつながりがよく軽妙な音裁きである それに余裕さえ見えるというのは とてもすばらしいことだ。それ以上に何が見えた?と言われると、。はて?。もう僕は彼のシューベルトのさすらい人幻想曲は覚えていないし。 超!綺麗にしあげましたよ ほらね!!という勢いで弾かれたショパンのノクターンももう覚えてない。 何年前に少しきいたルービンシュタインの同じ曲の演奏は頭からいまだに離れない (って比べるものがちょっと残酷かな でもラン・ランの演奏レベルの水準は確かに高いんですよ。僕は単に彼を卑下しているのではない。)彼の得意分野であろうリストのパガニーニ大練習曲(全曲)はもちろんミスひとつ無く終わった。ミスが無いというのは本当にすばらしいことなのかどうなのかちょっと疑うほどほかに価値が見出せなかったのである。ミスしろ!とは言っていない・・・ただ かれは音楽に本当に身をささげているのだろうか。と思ったのである。・・・最近シェベック先生のビデオを入手した。あるヨーロッパでの講習会のシーンや その場所での先生の演奏が収録されていた。 先生は バルトークの舞踏組曲 と リストのソナタを入れている。 ビデオからでも僕の質の悪いテレビからでも 彼の演奏はたちまち僕の気持ちに訴えかけ涙なしには聞けないのである。「うわぁ これはすごい!これってまさに音楽だよ!」と思わせる要素を持つ人って必ずいるはず。単にその演奏が僕のタイプであるという次元の話ではない(現に僕はこう思わないかもと思うところだってある だが曲を仕上げることが”単に細かい作業が人前でどれだけ冷静にそして完璧にできるか”という話でなく 作品自体が物語として僕を包み込みいろいろな場所へと連れて行くようなかんじなのである あたかも作品が”芸術家”の手でもってすばらしい物語としてよみがえるのである)。ここでの話はミュージシャンシップの話である。

あ!ながくなってしまった。 この3.4日間のこと(ダラスにいってきました)
をまとめて書こうと思ったが また次回。。。(爆)



4月11日
最近卒業間際になってきて音楽以外のことでいろいろやることが多くなり物事をすっぽかしてしまうことをしてしまった。アパートを出ること 日本に帰ること 銀行の口座のこと 僕の所有物(棚とか食器など)を人に譲ったり売ったり すべてにいろいろ アポをとったりしなければならなかったり。それだけでなくほかにいろいろとある。練習はいつものとおりできるのだけれども あまりにいろいろなことがおきすぎて・・・することを毎日紙にかいてもちあるいているのだけど
昨日は チェロとのリハーサルをすっぽかしてしまった。今日はリスケジュールしてチェロとのリハーサルをした。二週間後にチェロとのコンサートがあるので そろそろ詰めの時期にはいってきた。 火曜日にはダラスでソロのコンサートなのでそのこともあり  気持ちのどこかで焦りがあるのかもしれないかも?
TCUでは いま ラテンアートフェスティヴァルをやっています。
演奏会も沢山やっています。 昨日は南アメリカの現代音楽を中心としたこんさーとでした いろいろな地域の特色がでて面白いヴァライエティあふれるコンサートでした ブラジルのあるピアニストがコンサートで弾く予定だったのですが 来米キャンセルをし TCUのピアノの先生であるマルティナ先生が弾くという案がでていた。先生はソロよりピアノデュオをやろうと提案し パートナーになんと僕を指名してくれたのだ!が。。学校側は 生徒が弾くのはちょっと と。かなりコマーシャルに力を入れているため学校側は学生をフェスティバルにゲストパフォーマーとして出演させる案をキャンセル。ちょっと悔しかったけど。いろいろあるんですよね事情って。
 今日は 隣人の誕生日パーティがありました 南米出身のこてこてのラテン系の女の子です。
僕はできもしないのに ラテンのパワーに押され ダンスをし 今少々腰が痛いです。。(爆)。

4月7日
雨が降った 土曜日からふっていたのだけど。
日曜日は先週に続きテニスができるかもしれない!とちょっと期待があった。
しかし 今日のお昼までにはやまなかった。
ルームメートがポルトガル料理をつくるということなので
何かお昼君もつくってくれ。といわれ。冷蔵庫をみたら。あまりモノがなかった。
あるもので作ることになった。 
ポルトガル料理:塩がついている鱈(皮なし3匹)を水につけ 塩気を取る、そして ゆでる ゆでた後に骨をとる。 
皮をむいたジャガイモを(中4個)をゆで潰す。
グリーンオニオンを刻み  ポルトーワイン(赤)を大さじ7 
上記すべての材料と混ぜる コロッケの中身みたいなものができる。
熱したオリーブオイルの中にいれ揚げる。
さつま揚げみたいなのが出来る。 時間がかかるがこれがなかなかうまい。
僕は 冷蔵庫から にんじん カイワレ きゃべつ 豆腐 カレー粉 生クリーム 白ワイン もやし ふえるわかめ ごま油 お酒 醤油 酢 ツナ アンチョビ  がそれぞれ 少量だけ残っていたので。頭を悩まし。カレースパゲティーと豆腐サラダをつくった
カレースパ:2人分
にんじん(半分)を千切りにする。ツナ缶の油をきる
フライパンにオリーブオイルをひいて、アンチョビ(2尾弱)を入れ、中火でツナ(90g缶二缶)、もやし(一握り強)、にんじんを炒めるすこしだけ白ワインをいれる。全体に火が通ってきたら、生クリーム(220CCぐらいではないか)を入れて煮る。
カレーパウダー(大さじ4弱)を入れ混ぜて、生クリームにとろみが出るまで煮る。塩をいれ味を見る。 ゆでたスパにまぜて出来上がり。
豆腐サラダ ドレッシング(粉砂糖すこし 醤油 ごま油 酢 白ゴマ を入れ好きな濃さに)
キャベツを千切りし。 わかめをゆで 豆腐を小さなサイコロにしてすべて混ぜできあがり。

こんなかんじになります。 おもったよりいい写真じゃないなぁ。
実際はもっとおいしそうだったです。(いやおいしかったです)
味見をしこれはうまい!とルームメートともども満足。友達を呼ぼうということに
となりのアルメニア人に電話・・・・つかまらず。向かいのインド人に電話くることが決定し
ワインの準備もでき これで完璧!とよろこんだが。よく考えると。。。
僕:「カレースパつくったのにインド人が来るんじゃないか おっそろしいよ!」と
ルームメート:「いわれてみればそうじゃん(笑)いやいや大丈夫だよ それに僕がつくったんじゃないし。」(ニヤニヤして)
僕:「はい!キャンセル決まり!」
ルームメート:「これだけのができたのだから女の子は呼びたい」
といっている間に インド人Pさん登場。 カレースパ食べてくれました!
しかも沢山!僕らは2人で3分の1ぐらいしかたべれなかった。
ドレッシングは外国人にすっぱすぎないように気をつけた。結果
おおお!OKサインがでた! (喜涙)
僕の即席発明的料理物語はとりあえず成功のうちに幕を閉じる。
しかし みなさん ポルトガル物 これはまさにおいしかった。
時間があったらトライしてみてください。

そして いきなりぜんぜん違う写真ですが。 家のすぐ近く 昼食後にとりました。
水浸しです。奥にお店が見えると思いますが。そこから 下り坂になっていて すべて水が家の前の方にながれてくるのです。

近くに住むタイソン君(遊んでいるのではないらしい(爆))

ひえぇ道全体がもう。。川です。

ついでなので 曇り空ですが 僕の住んでいるところをとりました。

川を渡り学校へ行き今日も練習 今週は小さな演奏会がダラスであり
沢山のポーランド物をひくので友達のポーランド人グラシエラ(写真下右側)
にショパンやパデレフスキの音楽を聴いてもらった。
クラコーヴィアク(ポーランドのクラコー地方の踊り)がどういうものであり どういうコスチュームを着て こういうメロディーの形が出てくるときはダンサーはくるくる回るとか 手の振りの動きが大きくなるということとかを教わった。 イメージして弾いてみると いままでロジカルにしか考えてこなかったテンポの動きや アクセントの強弱が 自然な要求として音楽に流れ込む。これは収穫であった と思った。 たくさん国際人のいるこの音楽学校ももう卒業。。。 いままでにいろんな先生やいろんな友達に会って 国際人同士の付き合い上では ぎくしゃくする雰囲気はは多くなく リミットのある英語力を駆使し 教えあったり意見を述べ合ったりする機会が沢山あって・・・・・恥ずかしがらず構えすぎずに心を開いていく人には ここはとてもいい環境だと思う。 ピアノのレベルは割りに高いにしても お互いが嫌いあったり挨拶しないとか競争心をもつということはあまりない。(いままでほかの学校にいろいろいったが レベルの高いところではわりに お互いの仲がよくないとか そういう雰囲気をひしひしと感じたことがある)。逆に この学校でも同じ国からきた者同士では(わりにどこでもある状況かもしれないけども)お互いいろいろ意地っ張りになってみたりなどとギクシャクした感じがあるらしいが。 まぁそれはお互い寛容にみようやと言う感じでうまくいかないものかなあと思うことがある(この状況の経験者はすくなくないはずだとおもう)。   次の留学先(は もう少しの間秘密)でも いい友達が出来ればいいなと思う。基本的に寂しがり屋である。もちろん人間関係にはギクシャクした状況もつき物ですけど ベストフレンド的なものがそのうち出来るといいなと思う。
 今のルームメートはとても宗教的な人。だがすごく人間を見る眼があり、よく精神分析的なことを話す。僕の英語のレベルがTOEFLもGREも驚くぐらいの得点をもつ彼には(TOEFLは3年前にほぼ満点だった)及ばないことがあり。 先週の日記に書いたとおり ほぼ毎日一単語覚えるようなペースである。(爆) 今日昔ピアノの先生が言っていたことを思い出した。「日本語がしっかりできないと 外国語を覚えることに必至になっても不都合がでるぞ」・・・僕が高校3年のころだったとおもう・・先生は僕の国語の成績がよくないことからいままで僕のしゃべる日本語について思っていたことを口にしたのだった。。。。 今になってこのことで胸がチクチクする。 たしかに 僕は日本語を正しく話していない(ぉ) イマダに「て、に。お。は。」が会話の時にぐちゃぐちゃである。適当に単語をくっつけてつぎはぎのような日本語をしゃべるとは良く言われた。大統領の演説のような日本語を話そうとはおもっていないけど いいたい物が出来る限り正しく表現されるということは ある程度大事ではあるとは思う。人は「あなたの日本語になれればものすごく感情あふれる会話であること文章であることがわかる」と言ってくれることも度々あったが。。。
おお。だんだん話がそれてこのままだと止まらない・・。
今日心配したこと・・。次の留学先の準備がうまく進まないこと。 
昨日寝る前にひさびさに銃声が少し遠くから3発聞こえたので何が起こったのか知りたいとおもったこと。(叫び声などはなかった。)

 おとといみた映画(フランス物)の音楽が頭から離れないということ。(今日実は 学校の練習室でおもわず弾き出した。)昨日 夢にもでてきたし。。。
ああ あんな恥ずかしいぐらいに単純な曲。。。。以外にはまっているのか?僕(爆)



4月5日〜6日
ルームメートがビデオをレンタルしてきた。
コロンビア人(E)とメキシコ人(EM)と久々にあう日本人(RH)がくるので一緒に見ようということになり いつもよりも早めに練習を切り上げて帰宅 
二本映画をみたのだが。 ミュージカルモノははじめてみた。フランス語のものだった。
登場人物はみんなダンスをして 恋愛モノで時々悩みいろんな人間関係があったりするのだが。いつもカラッとしていていつも明るくてアップテンポなのです。「あなたとは二度と会いたくない」という破局のシーンもアップテンポにすいすいと流れさる。しかも 深刻そうな内容なのに とても忙しい歌で。すらすらと歌い上げ小刻みに踊り去っていく。
街のシーンではどこでもだれでもが踊りまくる。 主役格でないひとたちも踊りまくる。
タダ単に通り過ぎる人も踊っている。 こんなテンションのもの。生まれてはじめてみた。。
いい歌もあったのだが 大抵の曲が何回もいろんなシーンで繰り返され 絶対に忘れさせないぞ!と映画側から言われているかのよう。しかも どの曲も 形式が一緒であって メロディーの作り方もまるでいっしょ。 「どれみー」とくると「しどれー」と一段下がってきて「らしどー」ともう一段下がって結末。そしてもう一回同じことをする。 この手のシークエンスばかり。。。
飽きるというか 頭からはなれない。そればかりかそれに冒され こっちもおもわず口ずさんでしまいそうになる。
ここ一週間 精神的にダウンになることが多かった。
したいことがたくさんあるのに。それが思うようにことが運ばず。苦しい感じがずっとしていた。
ネガティブに物事をとらえて結局は自分の首をしめるような状態であったから
(英語にしても ピアノにしても 料理にしても ほとんどすべてのものに悪影響があった) 
 映画のすべてにおいてハッピーな雰囲気には圧倒された。
なんとなく勇気付けられているような気分にもなった。

3月31日(日)
太ももの筋肉痛がなおりきらない。
しかし テニスの魅力にはさからえなかったのである。
TCUにはテニスコートがあったことさえ知らなかった僕。しかも
そのテニスコートの近くに前は住んでいたのに(爆)
日本人のみ5人(僕+G氏+女の子三人)でのテニスでした!
筋肉痛だったがやっているうちにそのことを忘れ結構夢中になりました。
(友達のG氏曰く 筋肉痛の上に運動をすると痛みが取れるということだった・・・。 金曜日のボーリングの後ピエロみたいな歩き方をしていたのに  実際今では結構普通に歩いている)
テニス・・昔よくやっていたので 勘がもどるかとおもいきや。
バックハンド(基本物)の勘がいまいち戻らず ちょっと苦戦。
プレーしている間 女の子三人コートの隅のほうでしゃがみこんでいる。
どうしたのかと実は少し心配した。 そしたら 女の子たちの向こう側で小さな子供のリスが弱弱しく歩いていたのです。そのリス興味津々である様子で。足にしがみついて上ろうとしたりしました。人になつくリスはアメリカで初めてみた。一人女の子が預かることになり 名前は ガブリエルになりました。(僕は ガブさん と呼ぼうと思っているのだけど。)
水を飲んでいる姿がなんともかわいかった。(実は今G氏とチャットでしゃべっていたのだけども G氏が預かっていることが只今判明)
 すっきり気分がリフレッシュした僕は 練習後音楽棟でシャワーを浴び 練習に。
不思議と自然に集中して練習が出来たように思う。明日は コンチェルトの伴奏初あわせなので楽しみです。 
それにしても最近 日本人色に染まりまくるムーミン(実は結構幸せなのだが)
今朝ルームメートに 英語がへたになってるぞ! といわれました。(爆)
 そんないつもパーフェクトにはしゃべれませんよ もともと日本語でも問題多き人なのに。(汗)
ルームメートは4ヶ国語をしゃべります(ポルトガル語、スペイン語、英語、フランス語)とても落ち着いている人で 知的な会話の大好きなピアニストです。僕が今のアパートに一月に引っ越してきてから新しい単語をルームメート(26歳pianist)から200個は覚えたでしょう。
ちなみに今日の新しい単語は医学用語で筋無力症=myasthenia gravis でした(実は一回去年の9月に習ったのだけどわすれていた)。 実は一人この学校のピアニストでこの病気になってしまった(去年九月に正式に診断された)人がひとりいるんです。その人のことで話していたときに。あぁ。その単語をど忘れしてました。そればかりか 言い回しまでちょっと注意されて会話が久々に英語教室のようでした。
 実は昨日その友達の夫(作曲家)に会ったので 良く病気のことを聞かせてくれといったのだけど「病気の悪化を遅らせる薬しかない」というのです。伝説的チェリスト ジャクリーヌ・デュ・プレ が同じ病気をもって衰弱してしまい亡くなったというあの病気だとおもうのですが・・・。
 今日きになってネットで調べたのですが
  「現在では生存率は、100%に達したのです。つまりMyasthenia Gravisそのものでは、もはや生命を縮めることにはならい、何らかの合併症か事故があった場合に寿命を縮めるということです。」
ということでした。ううん。なんとも僕は「生き残れるさ!」と主張はしにくいし。ああ。なんだか 発言に勇気がいるというか発言するかどうかの決断ができないでいる。なんともきむずかしい。 病気の判断が下ったあと 彼女はかなり取り乱したり 落胆したり 無理に勇気付けたりとしていたが 彼女はメンタルの面ですごく強くなり それまで なんとなく夫にすべてゆだねるような形をとっていた彼女の生活から一変し 責任感の強い女の人になった。  いま彼女の気を変に焦らせたくないし。夫の方と静かに話をしようかとか思っているが。 最近彼の作品をみさせてもらって そのことについて ああだのこうだのと論議になってしまい ちょうど今仲をすこし悪くしてしまっている。でも いつも買出しに行くときも 飲むときも一緒にさせてもらっている友達だ。  「ああ!正!冷静になれ!」と言い聞かせているところです。 


3月30日(土)

昨日の夜(実質上今日の朝早くなのだけど)
G&T君が帰ってから 氷がふりました。
最初は 上のアメリカ人が酒盛りでもして騒いでいるんだろうとおもったけども
僕の部屋の真上は上の人のお風呂であることを思い出し不思議に。
音があたかも 誰かがノックしているみたいなので こちらもちょっと天井をつついてみる。
すると 雨が激しくなり 尋常じゃない雨の音にビックリして外に出ると ゴルフボール弱ぐらいの氷がボツボツと落ちているのでした。 ああ。。誰かがノックしているのかと思ったよ と 思いベッドに戻る。 電気を消そうとすると 部屋のすぐ外(僕の部屋一階で窓から見える景色は裏庭のようなところで人が通るところではないのですが)で誰かが歩いてるのです。 一瞬「ああ そういえば先月学校から”戸締りの注意をしてください このあいだ ホームレスがどこかの家に侵入しました”という手紙をもらったからそのことか」と思ったのですが すぐに それは違うことがわかりました。 オバケだったのです。
窓の前を二往復したでしょうか それから 消えました。 久々のオバケ体験でした。
もう 半年はみていなのですから ぜんぜん気にするという習慣がなくなっていた。
(というか 最近・・・久々に体験したことばっかりだなぁ。 
明日は 念願のテニスの日なのですが。筋肉痛がとれません。
へんなところで 年を感じるというか 運動不足だということにちょっと自分に腹が立ちました。
1年半前まではよく運動をしてたのだから 大丈夫だとおもってたのに。
これから 少しまたスポーツをやってみようと思います。
あと 4月中旬にダラスで 小さなコンサートが入り また新しい曲を始めました。
明るめの盛り上がる曲で ということと ショパンのエチュードというリクエストがありましたので。(←こういうリクエストははじめてだ)という要望がありましたが。僕はいまのところ 派手派手に見せびらかし技巧タイプの演奏家ではないので 自分のスタイルから離れすぎず人々に親しみやすくそれでいて華やかな要素も持っている (ショパンと同じポーランド出身の)パデレフスキーの曲を何曲か選びました。
僕。ここアメリカに来てから時々おもうのだけど。・・・平凡な生活ってあるのだろうか。
毎日誰かに会い いろんなものを(学校内だけとはいえ)見ていると なんらかの発見ってあるものだと思う こちらのその時々の精神状況にもよるのかもしれないが。



3月28〜29日(金)
練習が夜の九時におわり作曲家コロンビア人の友達ホルヘ君(ブライアン・ファーニホウの崇拝者)に食べ物がないからスーパーに連れて行ってくれないかと頼み ドライブがてら すこし遠くのグローサリーストアに。途中彼の作曲中の作品のことで話が盛り上がり 途中でお茶をしよう・・とマクドナルドに寄る。久々のファーストフードでした。
 話のトピックが変わり友達の話や将来の話になり それなら 彼の妻(ディアナ)もまぜて話そう と 学校へもどり 練習がおわったばかりのディアナをつれ 彼らの家に。 ブライアン ファーニホウの音楽を楽譜を見ながら沢山聴きました(とても複雑な曲で頭が混乱してくるぐらいなんです。 ピアノ曲は前から知っていましたが 今回は弦楽四重奏曲 ああ!なんて こんなに複雑な! しかも アルディッティ弦楽四重奏団の演奏 すごかった。 実際にアンサンブルができてしまうという時点でも びっくり。・・・なぐらい スコアは複雑。こんなに複雑なスコアは 久々に見ました。)  いろいろな話をしたいというディアナの提案もありゆっくり飲みながら話そうと・・・  イタリアンの赤ワイン 「キアンティ」二本を彼ら二人が持っており 一本あけることに。あまりワインに詳しくない僕。しかし この赤ワイン かなりよかったのです。いままでこんなに ワインをのんでうまいなぁ と思ったのは 初めてといっても過言じゃないだろうと。久々の美味しいワインでした。 実際に試してみてください。飲んでソンはないはずだとおもいます。
 そして すっかりワインづけになった3人。「泊まっていきなさい 僕ら運転できないからもう」と 明日の予定のことを話し合い 泊まることに。 テキサス生活はじめての 友達の家での外泊@フォートワース。実際ベッドのこごちが僕の持っているものより数倍も良く。ワインとの相乗効果で 気持ちよく寝れた。
 次の日の朝 ディアナがピアノの生徒を学校で教えなければならないと ついでに家まで送ってくれ シャワーを浴び 学校で練習を3時のレッスンの時間まで。
レッスン室に入ると 音楽的なことがなんでもはなせる 同じ門下生のイタリア人の友達 リッロが いて ヒューストンのライス大学に受かりそこで ジョン・キムラ・パーカー氏のもとで勉強し 博士号をとる ということ それに彼は結婚していてフォートワースにチェリストの妻と住んでおり もうすぐ子供が生まれる 最近はお腹をけり始めたと・・・ 聞き おめでとう! と。 そして 日曜日にはもう引っ越していなくなってしまうということに悲しく思った。 E−mail や電話でも話せるのだけど。いままで精神的にもいろいろ支えになってくれれた彼ら。涙したり笑ったりとそれはそれは沢山の思い出があって 。。。 彼らは久々のいい音楽友達だった。
 今日はレッスンでシュトックハウゼンのピアノ曲9番を弾きました。いままで先生が知らない現代曲を弾くことが多かったのだけど 今回は先生も習ったことのある曲。 ここ数日わけもわからず 最後の一ページのあるところ(おなじところ)で暗譜のミスが起きるということに悩まされてきたのだが 「落ち着け!」といいきかせ。 久々のレッスンでもあり 少々緊張気味ではあったが まずミスはなく弾けた。僕が黄金分割のことなど分析したことを 先生と「ああでもなくこうでもない、そうあるべきだったが今きいてみるとそうでもなさそう」 などと ディスカッションし。音に磨きをかける というところに重点を置き 楽しいレッスンであった。 レッスンは約2時間。新たなる発見が沢山あったことにうれしく感じ すこし復習を。
6時にはこないだ知り合ったばかりの日本人の友達2人(G氏&T氏)と会う約束があり。今日の夜は徹底的に遊ぼう!と心にきめていた 日本人とのお遊びは 実に久々。しかも フォートワースでという意味では 今日がほぼ初めてといっていいかもしれない。 
G氏の車で まずは中華料理店に。 レストランでの食事は久々。 北京ダックなど 満腹になるまで食べたのも久々。 味はまぁまぁであったが。 いまおもうと 音楽関係以外の日本人の仲間ができたのも久々かもしれない (ネット上でも わりに音楽仲間が90%占めているもので)。 実に面白い仲間! 卒業間際であるということがある意味悔やまれるぐらいだ。 その後遊びに行こうと 前に僕が散々「ボーリングしたい!」とお願いしたので 久々のボーリング場へ。待ち時間30ぷんといわれ 小さなゲームコーナーにあった 銃撃アーケードゲーム「ザ・新宿警察24時」というもろ日本語オンパレードのゲームを。アーケードゲームは久々である。 自分の体の動きにセンサーが反応し 銃を装填するときにこしを低くして 安全なところに隠れたりするしぐさをすると ゲームの主人公もその動きをするという物。 このゲームにはまり 久々の運動であったことがたたり ふくらはぎが筋肉痛に。 ボーリングでは やっていくうちに燃えてきて痛くはあったのだがつづけた。スコアはまずまずであったが ああ ボーリングって久々にやると面しろい! そして お次は バッティングセンターへそこでもアーケードゲームがあり ダンスダンスレボリューションもどきみたいな 踊り系ゲームがあり(僕はいままで3年間 フォートワースにはこんなものもあるとはしらなかった。実はボーリングもビリヤードもなにもないと信じていた。) それにはまる。筋肉痛なのに。 そして数十分後 バッティングをしに外へでる。 最初は休むためになにもしないつもりだったが 友達がコイン(機械に投入すると動き出す)をくれ まず1ゲーム(15〜20球あったかな)トライ。 それが。。見事に一回もバットにボールが当たらず。(自分ではもっとできると思っていた)ボールのスピードの遅めなところでもう一回トライ。 すると なんだか 当たりだした。 あ!これは面白い と なんゲームも続けた もう バッティングのとりこ状態である。楽しんでいくうちに自分の癖がわかり 「ああ!なるほど それでこういう風になったのか」と自分で納得しては ボールをバットに当てる。 早めのボールが飛んでくるところに戻り腕試し。すべてのボールを打てたわけではないが ボールが良くみえるようになった。 追加コインを買いもう何ゲームかトライ。 ああこれは もう 楽しい! ただがむしゃらにやっていたのではないので無事に手も痛まず終了。しかし 脚が。もう 棒のようになっていました。 階段がうまくあるけない酔っ払い状態でした。しかしいい汗かいた! もう 気分爽快です。その後は僕の家にみんな寄り久々に日本語で長い会話を。昔の思い出話でした いやぁ 久々だからなのかどうかわからないのだけど 実に面白い仲間と会ったなぁと つくづく思った。 
久々の事だらけの2日間。 さらにG氏はテニスが出来るということを知り、こんど日曜日にやろうということになった。 これもまた久々である。父さんが亡くなって以来やってなかった。懐かしいのだ。


3月27日(水)

昨日 卒業リサイタルの日程を決めてきました。
5月7日 Texas Christian University の EdLandreth Hall 午後7:30開演です
よろしかったら みなさん聞きにきてくださいね!((日本では ほかのコンサートを企画中ですので 後ほど報告します))
ある事情により 成績証明書を 日本に送らなくてはいけなくなり 
学校側に作成してもらいました。 が。。。。
どうみても 逆さにみても。。 何かがおかしすぎる。。。
ピアノリサイタルいままでの試験全部合格しているのに
最後にひらいたリサイタル(一月)から さかのぼってスコアがA. A. ときて一番最初のピアノリサイタル。。。。。なんと   

               ”F”!!!!

これじゃ 受かってないというか。 最低のスコアです。
これは おかしい 自分の技術を認めるとか認めないとかの以前の問題で。
 結局 ある先生一人。審査したシートを提出していないとかで。。学校側は F でしょうということに落ち着いていたらしい。 っていうか いくらなんでも 最低点って。ひどくないでしょうか。(笑) ぼく 飛び上がりましたよ。 
卒業するにあたって 将来自分の身の振り方など いろいろな問題が増えてきます。
いろいろなピアノ以外の音楽のこと (ビジネス的なことや演奏会企画)で 頭がこんがらがってきている。最近 もうすこし スマートに(頭がです)なりたいと思う今日この頃。


3月25日(月)
朝ダラスから帰り(前日の日記に出ている M.Hさんに 忙しい中車で送ってもらいました。ありがとうございます!! 昨日コンサートで弾いたS.Kさん R.Mが日本に向かうので空港の彼らを送りにいくつでに ああ おくってくれました。。感謝。。)
かえって 昼を作り(ひさびさに まぁいい感じのペンネ・アラビアータがつくれた)
コンピューターを見に来る学校のネットサービスの人を待つ。
割りにすぐ来て せっせせっせとセットアップを始める 日本語ウインドウズなので 訳します! といったのだけど 彼は見慣れているかのようにせっせと。。
せっとあっぷは5分でおわり。 あとは20分後に早いネットができるようになりますよ! といわれ つながれー! と 20分 コーヒーを飲みながら コンピューターをにらむ。
して! つながりました! 祝! しかも無料。。。 これは 美味しい話です。
電気代も 水道代も ケーブルテレビ代も払わなくて良く 各家にランドリーがついたこのアパート。 高速ネットも無料だなんて! なんて幸せ! ということで。 早速 重めのMP3の曲をダウンロード。 なんて早いんでしょうか! いままで30分かかって聞いていた曲が。。4分で。。。。。おおお これで電話線をコンピューターにつなげる必要がないし。 常時接続にしてみようかな。と もう うかれていました。 そして 先生から電話がかかり。 明日のレッスンは シュトックハウゼンのピアノ曲(現代物です)をといわれ。 ベートーベンを用意するつもりだった僕は顔面蒼白になり(まぁ 練習はしていたのだけども 最後のページになるとなんでか アンプのミスがでる。) 学校へダッシュ。 何時間か練習をした。 練習はじめと終わりに二回通して全曲を弾いたのだけども やはり 最後のページだけは どうにも。。ああああ トラウマになりそう。負けるか!ふぅぅ 今日の練習は無駄になったとは思わないけれども なかなか この曲に限ってなんだか 余計な通り道をしながら勉強をしているような気にかられる。
そろそろ 日本に向かった2人組は 東京の家についているだろう。  
ああ。 神奈川の実家の犬や家族に会いたいと 今日思った。


 
3月23〜24日
ダラスにいるバイオリニストの友達(日本人女の子 S.K サン)が日曜日に Southern Methodist Universityで SMUオーケストラと 共演するということで 土曜日お昼頃ダラスに向かう。しかも今回は最近開通になった電車でということで初めて旅行ということでどんなんだろうと 楽しみでもあった。
まず僕の行っている大学の前でバスに乗りダウンタウンにある 駅に直行 しかしバスはなんとも変なルートで通っている。。 あ!駅が見えた!と思うと 直前で曲がりあさっての方向に走り出した。 運転手に「僕あの駅に行きたいんだけど」と聞いても 「行くから すわってな、ゆれるから ダウンタウンの中を結構廻っていくのが先だから それから行ってやる。」と。 それからダウンタウンの中を20分もぐるぐる。。。 電車の発射時刻が刻々と迫ってくる中ちょっと心配に思った。なぜなら フォートワースのダウンタウンからダラスに直行する電車は(土曜日だったということもあるが) 二時間に一回しかでないので のりすごすと・・・。
さてバスは駅につき。 建物の正面玄関前で降りる。
・・・・・・正面玄関鍵が閉まっている。 発射時刻まで6分。ネットで調べて チケットの購入は駅のプラットフォームの中。だとか。 そこまでもいけないではないですか。 と 思うと 遠くのほうに立て看板があって矢印が。 そして 建物を大きくぐるりとなぞるように歩き ようやく入り口へ。 工場の跡のような駅で 中に入ると。 大きな巨大体育館のよう。奥行き60メートルは楽にあり天井の高さも 建物5階分はあるのでは・・。しかしそこには。。。。 ”なにもない”。  建物の中程に 小さな縦看板があり どうやらそこから入るらしい。プラットフォームの地下を歩き階段で地上に。もう 時間がない。 写真をとろうとカメラを片手に、もう一方にはお金を握り締めダッシュ。 最初にみつけたチケット今風なデザインの販売機 なんと故障中。 んもーと 思って電車をみると一両分の車両が で! でかい! これにおどろき カメラを持つ手はシャッターを押す。 (下の写真 客車外観です)
もう一つの券売機には数人の人が並んでいて僕は「ああ これ以上急がなくてもよいのだ」と少し落ち着く。サービス開始から半年経たないこの電車に興味をもつこの電車の初体験者が 券売機でのチケットの買い方がわからずおたおたと。。僕は先読みしておいて だいたいニューヨークでの地下鉄のカード券売機と似ているとおもったので 説明をし 人々が買っている間 プラットフォームの長いすの上に載って遊んでいる子供を見張るのを頼まれ あやかしながら 僕の分まで買ってもらう。チケットは 最終目的地ダラスのモッキングバード駅(SMUの近く)まで乗換えを含み計1時間半の旅で 4ドルでした。写真を見ての通り二階建ての電車ですが 中はこんな感じです

僕は急に睡魔に襲われ このあと爆睡。週末は観光のような感じで営業するこの電車。ほかの人みんなが外を見て わーだのきゃーだの言っていたのを覚えているので 僕の存在はかえって ムードブレイカーになってしまったのではないかと 終点でほかの客に起こされたときに思った。(爆)でも 眠かった。。。その日の夜は 日本人の友達R.M氏が(おなじくバイオリニスト)コントラバスの可笑しなアメリカ人にあわせてくれるというので飲み会を10時に企画してくれそのためにも一応寝ておこうと。。睡魔の魔力にまかせてしまいました。。 

上の写真は ダラスのダウンタウンにあるユニオンステーション という駅です
時計をみると 待ち合わせの時間 4時までまであと25分弱! 
黄色い電車が ダラスの町を走る DART という電車。通勤電車としても活躍しているらしい。
これは数回乗ったことがあるので どっちのホームに来る電車が 北の方角に行く というのはもう知っていた。 余裕を見せて写真を撮っちゃおうかな とカメラをまた片手に。とおもいきや 電車が来てしまい 写りがどうのこうのを問わずシャッターを押す。その結果が上の写真です。
モッキングバードまでの数駅の間に ダウンタウンが観光でき過ぎると 地下にもぐり モッキングバードまで10分強。 SMUのキャンパスはすぐ近くにあって だいたい4時ジャストにモッキングバード駅からみて キャンパスの反対側に位置するそして 今回お世話になるM.Mさんのの寮に 4時だいたいジャストぐらいで到着。 10時までの間は 練習したり 軽いご飯をたべたりしようと計画。 練習中に8時にもう一人ほかの日本人M.Hさんが学校でやるピアノリサイタルを聞きに来るしかも飲み会に参加可能ということもあり、リサイタルを聞きに学校にある音楽ホールへ8時に向かう。音楽教育学(演奏家コースとのダブルメジャー生徒だったかな?)専門の大学院に通う女の子のリサイタル 曲目は ベートーベン:32のヴァリエーションWoO.80 リスト:ラ・カンパネラ ドビュッシー:練習曲4番、レントより遅く プロコフィエフ:ソナタNo.1 という比較的小さなプログラムでしたが。 ステージ上ではおちついている感じがあり それに 指周りがよいなめらかな演奏だった 練習しましたよ!というのが良くつたわる。 ホール音が拡散しすぎてしまうところで 一つ問題だったのは 練習室で弾いている感じをそのまま 大きなホールで同じ事をしましたという感じ。 音が拡散し天井が高く奥行きの少ないホールのために音がモワモワとこもり気味になる。そのなかで 練習室でのような 響かない場所での弾き方を 違う言い方をするのなら 指に感じる鍵盤の感触を覚え そのままステージでやりました という感じがし 細かいパッセージは良く指が動きテクニックがほぼ完璧なのに 殆どがクリアーに聞こえないということであった。 プロコフィエフのあの曲のようないろいろな高さで音が立体的になる曲では 一生懸命左手の音形が下から上に上がり下がりしていても 聞こえなかった。
でも あの落ち着いて曲に自分が入っていく様子は こんなことを言うと失礼なのだけれども 教育学専門にしている生徒にしてはすばらしいと 思った。(いままで このメジャーのひとで ここまで曲を仕上げた人の演奏は聴いたことがなかった) さて 演奏会がおわり 飲み会へ。アメリカ人の女の子(名前を忘れてしまった!Zさんにしておこう。)コントラバスの人ともいろいろ話し始め(名前は デーヴィッド) 彼が一風変わった人であることを最初の瞬間から思ったのである。 なんというか アップテンポでボソボソ話すのだが 普通の話し方をまったくしない。 なんの話をしても おかしくぶっ飛んだ方向に持っていってしまう それが すこしやらしい方向に行くこともあれば 普通は そうは来ない!という つねに予想の出来ない展開がまっている会話で。 スラングも多くなんだか 僕は始めて会うアメリカ人の女の子とも一緒だし 日本人の女の子
もいるし。少々しどろもどろしてしまったが。 みんな笑い始めると僕もそのうちその雰囲気に入り 笑い始める。 遠慮のごくごく少ない うちらの独自の奇妙な世界を作り上げる。。。2時間ぐらいいただろうか3時間ぐらいはなしただろうか。笑いに笑えた会話に終焉が。(食べ物の味を覚えてないぐらい すごく会話が。。。うーん ここでは話せないぐらいにぶっ飛んでいたのだった)こんな会話はいままでに初対面のひとと交わしたことはなかった。(爆)) それぞれ次の日にはやることがあり 解散に。 次の日日曜日は コンサートまで食事をしたり 練習をしたり。
コンサートは SMUの音楽部門内で行われたコンチェルトコンクールの合格者の演奏会だったのかな。 4人のソリストが登場。 最初は黒人テノール モーツァルトの魔笛のとあるアリア。プッチーニのジャンニスキッキなと歌った オペラではなく演奏会形式でアリアを歌うのだが 結構派手なジェスチャーがついて それが時々曲とミスマッチして圧巻(人々は割にすきだったらしい)。わりにいい声の持ち主で 最後にプッチーニを歌っているときには 「あ!これ彼の18番なのでは」という感じで ほかの曲と数段差がついた いい仕上がりだった。 次にでたのが 21歳ぐらいのスペイン人ピアニスト。 サンサーンスのピアノコンチェルトNo.2から一楽章。緊張をしていて 肩があがりっぱなしであったが 自由なフレーズ感でしなやかさがあり  人工的にいろいろいじくりまわしたような演奏でなく受け入れられる範囲での自由なムーヴメントのおかげもあり 「オーケストラこのあと どうピアニストにフォローするのだろう」と思う瞬間もあったが 自然な音楽の流れにはやはりついていけるものなのだと 安心。テクニックも充分。しかし 緊張しているのもあるのか おとが殆どすべてに置いて硬い 詰まった感じがした。なのにフレーズは以外に滑らか。。。 次にはファゴットでウェーバーのコンチェルトヘ長調2,3楽章 これは 僕は始めきく曲で良くわからないのだけど ファゴット奏者の黒人の男の人は 自信が充分にありそうに見える すべて自分のやることに自信を持っているというかんじ 音はすごく豊かな音を出しゆっくりの2楽章では充分楽しんだ。 突然のテンポチェンジなど不自然な音楽の解釈も自信をもってこうあるべきだ といわんばかりに。ある意味自信があることはとてもいいのだけど しょっちゅうそれが起こると 聞き手も オーケストラもフォローが出来ないだろうと。 実際単純な伴奏で明瞭簡潔であるウェーバーの曲。アンサンブルの小さなトラブルが沢山あった。 最後に出てきたのが 日本人S.Kさん チャイコフスキーのコンチェルト一楽章。 僕は日本人ひいきはあまりしないほうだが(むしろ 昔は悲観的にみていた) ステージに出てきたときから 彼女は前の3人とは違う演奏家であることが見受けられた。 すごい集中力だし音はよくはまり音の伸びがよい。 演奏のすたいるは 大げさな表現があまり無く 楽譜の読み方がすごく自然に僕の中に入ってくるような演奏で (たとえば ほんとに努力に努力し 研究してつくったロボットだが磨くのを忘れたし 機能を追及したばっかりにいろいろ奇抜な形になり見かけの美しさに手が廻らなかったという研究者とは違う) テクニックが完璧である というコメントはでなかったぐらいに こっちにジャッジをさせるような演奏ではない。・・・つまり こっちがその人の音楽を受け入れる体制がもうすでに知らないうちに出来ているのだ。 会場の椅子の背もたれの部分がこごち悪いとか そういうことは もはやきにならない。 一つ思ったのは随分すっきりとしたチャイコフスキー(あの威厳のある”ひげ”をすこし剃ってきましたという感じ)に。僕は 極端な感情表現。これは曲に当てはまらないかもしれないけれども たとえば 苦しいのでも その苦しみが死とのはざまであるとか ハッピーといっても 「この国に平和がもどってきた!」とか  そういう瞬間極端な種類の感情表現は シンプルな音楽解釈の中にも表現可能なのではないかと 僕も自分で研究中。  S.Kさんがステージにあがってから オーケストラのサウンドもがらっと代わり ある種のいい緊張感がでて 彼女に司っているという感じがでていた。
自分もなにか どんな種類かわからないけど ある種の”勇気”とか”元気”をもらったと思う。
オーケストラコンサートのあとにパーティがあると聞き 招待されてない僕。SMUにいるイタリア人のピアニストの友達と ハンガリー人のバイオリンの友達にに 許可をいただき ほかの友達にパーティー会場までいく車を M.M氏が手配してくれ それまであの間 練習を。 数時間後。迎えがこない。。。。 僕たちは途方に暮れ。 お腹がすいた。 ボーっとすると帰って疲れるということで 練習室に戻り 遊び感覚で二人で アンサンブルを始める。 楽譜が無く ほぼ二人ともアンプで ラヴェルのツィガーヌ ブラームスのソナタNo.1 などなど 2時間半ぐらい 弾いていた。 結局迎えは来なく。寮の部屋に戻る。このときS.Kさんに会い お腹がすいた僕たちに 大量のお菓子をくれる。 すぐにかぶりつきました。 
月曜日は フォートワースの現実の世界に戻ります。
学校のインターネットサービス(スピードかなり速い)が使えるようになるらしいので 楽しみなんですけど。 うまくいくといいんだけどな。と うっすら期待・・・。


3 
3月21日。
二月に話し始めた 日本での冬の出来事については続きをあとでかきます。
結構サボりつづけたこの日記。いい加減にそろそろ。かかんとと。(爆)  日本でのアンサンブル・ブラヴォーラ第二回コンサートIn福岡を終え、12月31日にまた再び渡米 年末にレッスンがあると先生に日本で会ったときに言われたので しっかり肝に銘じてテキサスに戻ってきました。が。 案の定というか。。キャンセル。。。。。 ヨーロッパ旅行のまえに 水曜日の学生コンサートを二回 リサイタルを一回はこなしてから 準備万端にしておきましょう。と せっせせっせと練習を。。する予定が。 かえってきてから。ルームメートとうまくいかないことがつづき(ルームメートの彼女との失恋もあった、僕はリビングルームで一年半寝過ごしてきたけどいろいろやっぱり不便もある。。。と) いろんな事情があって 家をでることに。 しかし突然出ることが決定してもあてがないので ルームメート募集中である人を探した、ブラジル人のクローヴィスという友達がいて(ブラジル人なのにとてもオトナシイ。)彼がルームメートを探し中で 僕ならOKしかも 個室がもてる ということで 早速アパートのオーナーと連絡を。学校の所有するアパートで日本でいわゆる大学生卒業以上の人が住めるようになっている。しかーし!僕はアーティストディプロマコース(大学の一環)なので 簡単には受け入れてもらえず。。 説得に入る。「今学期で卒業なんです。それまででいいですから。 それにもともと僕がここに来たときは音楽部門は独立していなくそのときは 大学の一環としてのプログラムではなかったんですよ。 後もう少しで卒業だというのにここでホームレスはいやだ(むちゃくちゃや 今思うと・・・(爆))」 などと 口論を重ねた結果 (向こうが折れてというかんじになった・・)住まわせていただくことに。。。。ということで。 ルームメートが変わりました。 今度承諾をもらったらルームメートの写真のせます。
(あ!ちなみに彼もピアニストです)  リサイタルでは 前学期(クライバーンコンクール以後)からいろいろとコンクールをせずにこつこつやってきたテクニックの改善や曲の考え方 精神状況と体温の関係などをしらべたり。。。などがいい方向にでて ああ!今日はこの数年間のなかで一番気持ちよく弾けたのではないかと 思った。 不得意分野であったモーツァルトが好きになったり いろいろと僕の音楽の好みも変遷がおおかったし 集中的にいろいろな実験をしてきたつもりだったので いままでとは違ったまた恐怖があったのだけど 一度ステージに上がると。なにか吹っ切れ・・・ 今まで自分がしなかったぐらい自由に弾いたのではないかとおもう。 もちろん 演奏会が終わるたびに反省というものはあって 新たな問題点もみつかり これからしてみたいことが沢山出てきたり いろいろとまた新しいアイデアが浮かぶものです。 一生勉強の道ですよね芸術って でも 一度この魅力にとりつかれたらもうやれるところまでやってみたくなりますね。 (ヨーロッパはリサイタルのあと行ってきましたが そのことは別のページに書きますなにしろ 日本の冬のこともまだかいてないもので。) ヨーロッパから帰ってきてから すぐに今度はNYへ(入学試験FOR ロイヤルアカデミーロンドン を含んで このことも後で書きます。。。うわ 書くことだらけだ 今までしなかったしわ寄せの重さを今はじめて感じた(汗)) ところで今日日記を久しぶりに書くきっかけになったことがあります!先月(ヨーロッパ旅行前)中華料理ディナーが学校のステューデントセンターというところでありルームメートがクロアチア人のピアニストと僕を誘い(もちろん食べることなら僕も賛成し)早速会場に。フォートワース日本人会の太鼓の演奏があったり 剣道の演技があったりと(あれ 日本のものばっかりだったかな 食べ物は中華でした)いろんなショーがあるディナーでした。 同席になったもう二人のうち 一人が日本人で しかも地元が近い! (右上につづく)
 
ここで 僕は 久しぶりの新しい日本人の出現に 遠慮せず大喜び。
TCUの音楽棟は狭く 学校の一番端にあり 毎日数人の同じ人と会うので ほかの分野を勉強している人との交流が なにか学校の大きなイベントとかに積極的に参加しない限り ほとんど。。。いや 皆無です。。。 図書館には割りによく言っているのだけど その日本人の彼は図書館で働いていると! 今度見つけたら話そう!と。。僕は名詞を渡し別れる。 それから。なぜか音楽科でない日本人に合う頻度が増え。 日本人のコンピューターサイエンスを専攻している女の子と知り合い。 もう卒業してどこかへいってしまったのだろうと思っていたもうひとり別の日本人の女の人に会いビックリ! そして 今日3月21日は 図書館で 中華料理ディナーであった 彼に会った!もう一人日本人が働いていて もう一人友達をゲット!  喜びは隠せず 2時間強も立ち話をしてしまった。 ああ!こんなことはいままでなかったなぁ。 しかし卒業間際でなくてもいいだろうに。と少し悔やむ。。。とりあえず 楽しすぎる話ができたのは久々で 興奮して家に帰ってきたので これは 日記を書かないでは!と思い。。 今回も文章ならびに日本語がものすごくおかしいところもあるだろうけれども(爆)書いてしまった!
 来月の中旬にチェリストとリサイタルで共演、同月の後半か再来月の初めに卒業リサイタルを学校で開くので暗譜をし せっせと練習をしています。
旅行から帰ってきた当時は7時間はねないと辛いぐらい疲れがあったのだけど 昨日3時間半しか寝ていないのに今日はすごく元気に過ごした。 今 自分でも驚いた まだまだ若いかも?(爆)
なんて書いているうちにもう夜の二時半。。。(爆)
明日朝チェリストとの初リハーサル。明日の下稽古の曲は 南米の作曲家 ヒナステラ の パンペアーナ No.2 です。とてもラプソディックな曲 ムーディーであったり 情熱的なアップビートのリズミカルな場面など カラフルで 最後もとても栄える曲です。このチェリストとは一年ぶりの共演で お互いの音楽がどのように共鳴するか すごく楽しみだ。